中国は驚異的な経済発展を遂げたけど、「偉大な発明」は0件だという事実はとても重い – 北京大学卒業式・張維迎講演より

2017年の北京大学の卒業演説(張維迎氏)「自由は一種の責任である」が、当局によってSNSから抹殺されました。
そんなニュースをたまたま見たのですが、この演説にはそれを超えて「発明」について非常に鋭い指摘が満載で、これはすばらしい!ということでかいつまんで紹介してみたいなと。

张维迎 “自由是一种责任”

“張維迎演講:自由是一種責任”

このすばらしい(個人的には「歴史的な」といっていいレベル)演説に関する情報は、Youtubeでも見ることができます。

冒頭から、ぐいぐい切り込んできます。

中華文明は世界最古の文明の一つであり、しかも唯一現在まで継続している古い歴史を持つ文明です。古代中国は輝ける発明創造を持ち、人類の進歩のために重要な貢献を行いました。
しかし、過去500年、中国は発明創造の分野で取り立てて言うほどの物は何もありません。

ご存知の通り、中間層の増加に伴い中国のGDPはあっと間に日本を抜き去り、経済発展には目覚しいものがあります。
また、中国のメーカーは世界中で競争力を増しています。

にもかかわらず、「過去500年、中国は発明創造の分野で取り立てて言うほどの物は何もありません。」と氏は言い切ります。

世界を変えた重大発明は1001項目

英国科学博物館の学者ジャック・チャロナーの統計というのがあるらしく、そこには世界を変えた重大発明1001がリストされています。
この中の大半の838個が西暦1500年以降のものだそうです。

しかし、中国がこの「重大発明1001」に載った最後の発明をしたのは、1498年。
つくったものは“牙刷(歯ブラシ)”なんだそうで。
※余談ですが、歯ブラシって中国発だったんですね。

氏はこの点を皮切りに

これら多くの新産業や新製品の中に、中国人が発明した新しい職業や重要製品は一つもありません。

と警鐘を鳴らし、学生を鼓舞します。

もし諸君が⾃動⾞産業に関する技術進歩の歴史を書くならば、そのリストには1000人以上の名のある発明家が掲載され、その中にはドイツ人、フランス人、英国人、米国人、ベルギー人、スイス人、日本人が含まれますが、残念ながら中国人は1人もいません。

自由と中国

これだけだったら、単なる国家批判と言うか日本でも良くある「アレが悪い・これが悪い」の言いっぱなしなのですが、ここからの演説のクライマックスが感動的なのです。

問題はどこに起因するのでしょうか。
中国人の遺伝子に問題があるというのでしょうか。
明らかにそれは違います。
さもなければ、我々は古代中国の輝かしい実績を説明できません。
問題は明らかに我々の体制と制度にあります。
想像力は自由に依存します。
それは思想の自由と行動の自由です。
中国の体制が持つ基本的特徴は、人の自由を制限し、人の創造性を扼殺(やくさつ)し、企業家精神を扼殺することです。

なるほど、これは削除されてしまいますよね、そりゃ(汗)と思いつつ、中国でこのようなことを堂々と話す張維迎氏。
すばらしいの一言です。

過去30数年、中国経済は世間の人が注目する成果を収めました。
この成果は西側世界が過去300年間に発明・創造して積み重ねた技術的基礎の上に打ち立てたものであり、中国経済の高速成長を支えた様々な重要な技術や製品は全て他人が発明したもので、我々自身が発明したものではありません。
我々は“套利者(利ざやを取る人)”に過ぎず、“創新者(起業家)”ではないのです。
我々はただ他人が建てたビルディングの上に小さな楼閣を組み立てただけで、我々が“狂妄自大(尊大で傲慢)”になる理由はないのです。

この日経の記事の〆で記者は「金に任せた買収」といった言葉を使って中国を批判している(おそらくそれが書きたかったことなのでしょう)んですが、それは本筋ではないと個人的には思います。
中国が経済を一気に成長させるには、当時存在している文明の活用はギャップを埋める最良の手段だったのは明らかで、おくびもなく実行した中国の企業・政府の人たちが「強い(強かった)」だけです。
(日本の戦後だって、ある側面において完全にそうですしね)

それよりも、中国が一通りの技術や文明を享受したその次の未来、に対してこういった厳しくもすばらしい情報を発信する人がいる、ということが大事なのではないかと。

あまりオチも何もないエントリーですが、最後は演説の締めをそのまま引用して、今日はここまでで。

自由を推し進め、守り抜くことは、中国の命運に関心を持つ国民全ての責任であり、さらに言えば“北大人(北京大学人)”全ての使命です。
自由を守り抜けないなら、“北大人”の称号を名乗る資格はありません。
皆さん、ご清聴ありがとう。